ディストピア系小説のすすめ
こんばんはー!
最近IQOSのキャップがちょっと浮いてて、カチってはまりません。何かがひっかかってるような感じもないし。。
誰か解決策教えてください。
さてさて今日のヘビロテ。
やっと紹介できるううう![Alexandros]!!
もう何もいう必要はない!とりあえず聞いてください!(笑)
さてさて、今日はディストピア系小説の紹介。
今年、すごく流行ったみたいで、やっと世界がついてきたかって感じ。(笑)
例えば、
ジョージ・オーウェル『1984年』(1949年)
ここらへんがすごくおすすめ。
書かれた年代(前者は1949年、2005年)の時代背景に基づいたディストピア系の小説で、考えさせられることがすごく多い。
今回のブログは、ディストピア系小説をおすすめするために、『1984年』を紹介しながらすすめていきます!
※『1984年』を読んでいる最中の人はこのブログを読まないでください!ネタバレになります!
そもそもディストピアっていうのは、
ディストピアまたはデストピア(英語: dystopia)は、ユートピア(理想郷)の正反対の社会である。一般的には、SFなどで空想的な未来として描かれる、否定的で反ユートピアの要素を持つ社会という着想で、その内容は政治的・社会的な様々な課題を背景としている場合が多い(Wikipedia)
っていうもの。
イメージとしては、すんごく嫌な社会みたいな感じ。(笑)
日本、及び民主主義、自由主義国家から見たときの北朝鮮みたいな感じ。すごくもやもやしていて、北朝鮮で過ごしたくないって思うよね。
この赤文字注目。一概に否定はできない。なぜなら我々はあくまでも全政治形態の中で民主主義という形態をたまたまとっているだけだから。
は?何言ってんの?って感じよね。(笑)
これもこの『1984年』を読んだからなわけで。がんばって説明していきます。
ディストピア系小説って??
じゃあディストピア系小説って何や?って聞かれると。
ずばり、「SF」。結論「SF」。(笑)
ただ、進撃の巨人や北朝鮮みたいに私達からすると嫌な社会に住む人たちのストーリーって感じ。
この『1984年』は、ビッグブラザーという党首が率いる一党独裁の全体主義国家の話。
(このビッグブラザーはスターリンをモチーフにしたとかそうでないとか)
個人の発言、行動、思考までも徹底して管理され、ビッグブラザーや国家を否定する発言および思考が見られると即処刑。
ましてやこの独裁政権にそぐわない歴史に関しては修正も加えられ、何から何までビッグブラザーの思想通りに国が運ばれていく。そんな社会。
そう。これがディストピア。
主人公は、民主的な視座を持った男性。国による一党独裁全体主義はおかしい、もっと民主的になった方が幸せなはずだと思いながらも猫をかぶってビッグブラザーに忠誠をつくし、公務員として働く。
この主人公は公務員の中でも、歴史を改ざんする仕事。
党の計画、行動と背反しうる歴史的事象が発見されるとそれを改ざんするよう主人公が務める部署に司令が届く。
党が歴史すらも思うように変えられるこの国家で主人公は猫を被りながらも、裏で打倒ビッグブラザーを掲げて活動する組織に出くわす。
その組織とともに活動することを決めた主人公だが、はたして絶対的な管理体制を敷く国家の目からすりぬけて活動することができるのか?といったところだ。
この小説、何がすごいって全体主義国家を徹底的に描写しているところ。
この小説が書かれた時代が、第二次世界大戦終結直後であることを鑑みると、ヒトラーの全体主義やスターリンをイメージしてその中に住む人々を徹底的に思考実験したのだなと感じた。
党が歴史を改ざんし、情報を統制し、販売しているものやサービスも統制し、娯楽すらも統制する。まさに全体主義国家であり、現代における北朝鮮であると言える。
よくテレビで流れる北朝鮮のニュースで、国民が泣きながら喜んでいる図などがある。以前まで私は「これ演技じゃね?」だとか、「嘘だろ」とか思っていたが、この小説を読んでからは考えが180度変わった。
彼らは本当に心から泣いており、幸せなのだ。
金正恩様が国のあらゆる情報やモノ、サービスを統制してくれているおかげで私たちは周りの国の干渉を受けずに生活できている。
この論理で行くと、全体主義国家に住む国民は大抵貧困で、人によっては飢えに苦しむ理由が説明できる。
というのも、その国で養っている国民に最低限の食事を供給しているのは指導者であり、本当はもっと増やしてあげたいのだが、、という論理で行くと国民も空腹ながらもそれを耐え凌ごうと努力する。(いわば監禁したり束縛する人が使うテクニック
)
また別の理由として、裕福に食事を与えて、マズローの5段階欲求
でいう次のレベルの欲求に達してしまうと、現体制に不満を抱く分子が増える可能性があるからだ。
そしてこの『1984年』と現在の北朝鮮が全体主義国家たらしめ、その指導者に心から崇拝することを可能たらしめている要因に、外部からの情報を遮断していることがあげられる。
この『1984年』において、主人公が住む国家では、他国の情報は皆無、ただただ我々の敵であり、我々の軍事力をもってすれば倒すことは容易である。という情報しかない。
民主国家なのか社会主義国家なのかという情報すら届かない。
ここに現代の北朝鮮について考えるヒントが眠っているだろう。
我々が北朝鮮の国民を見て、不憫に思うのは私たちが民主主義という概念とそれがもたらす生活レベルが全体主義より相対的に高いと知っているからである。
北朝鮮に住む人々はこれを知らないために心から金正恩を崇拝できている。
これは逆に裏を返すと、金正恩政権はその体制維持のために徹底的な情報の遮断はマストで行なっていく必要があるし、この情報遮断はこれからのテクノロジーの高まりとともにかなり難しくなっていくであろう。
完全な全体主義国家の完成か、北朝鮮の内部反乱が先か、隣国である我々はその動向に注意しておく必要がある。
という、全くずれた着地になってしまいました。(笑)
こういったディストピア系小説は、その時代の社会問題を捉え思考実験しディストピアとして書き下ろしたものが多く、
純粋に「全体主義って何?」「イスラム系政党が第1党をとったらなぜだめなの?」といった疑問に答えてくれるでしょう。
みなさんも、ディストピア系小説で新たな視野を手に入れてみてください。