「問い」について
最近みわちゃんが大好きSiMを聴きまくってモンキーダンスを踊りたいいりえです!
みんな聞いてね✨
さてさて、このいりえのいりえによるいりえのための(※利己的だから ※前ブログ参照)ブログですが、どんなテーマで進めていきましょうかと考えた時に、「問い」というキーワードがピンときました。
「人間は学ぶことをやめた瞬間人間たる理由がなくなる。」
ってどこかの本に書いてました。この言葉大好きです。(笑)
もちろん僕は学ぶことが大好きなので、毎日学ぶスタンスで生きていて、その際に僕が何かを学ぶ時って、新聞を読んだり歩いていたりゲームをしていたりする時に、「これって何だろう?」「なぜこのしくみで動いているのだろう?」という問いから始まっているなと。
まあ日々どこかに「問い」が眠ってないかなとアンテナ張り巡らせながら歩いています。(笑)
「重要なのは問うことであり、答えを急ぐことではない」
と、かの「進化論」で有名なダーウィンも述べていますが、これの意味するところは大きいなあと。というのも「問い」次第で学びの質は8割ほど決まるなんて言われていて。
まあ自分もそれはとってもよく実感しています。下で詳しく説明します。
でもそもそも「問い」って?
うーん。簡単なようで難しい。
かっこよく例えると、教養という世界の地図を描くために自分の現在地を理解し、方向性をも把握することかなあ。
地図を描く上では結論海岸線を歩いておけばいいけど、ここでいう良質な「問い」を持つことができなかったら、ひたすら陸を歩き続けて最短で地図を描けないと同時に、意味のない情報を得る可能性が高い。うわあ、すごくわかりにくい例え。(笑)
まあ要するに、教養への切り口って感じかな。
じゃあ良質な「問い」って何?
これまたすごく難しい。
おそらく良質な「問い」の中にはもはや答えもしくはそこにたどり着くための方法論が含まれてるんじゃないかなあと思っていて。
例えば、「なぜ今回の衆議院総選挙の投票率は低かったのだろう?」という問いを持ったとする。
これだけじゃあおそらく「問い」の幅が広すぎる点で良質ではなくて。
さらにこれを深掘りして立てた僕なりの良質な問いが、
「人はどういう時に投票に行くのだろう?」
というもの。
これ、あれですよね。
R=P×B+D-Cのやつですね。
なぜ有権者は投票に行くのか-効用?義務感?学習?-:研究:Chuo Online : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
グーグル先生に「投票 行く背景」なんて調べたらおそらく出てくるかと。
だから、良質な「問い」っていうのは、それに答えもしくは答えにたどり着くための方法論を内在しているものってのが自分なりの結論かな。
まあだいたい後者の方法論内在パターンがほとんどで、その方法論に基づいて答えにたどり着く過程が大変ってのもまた事実なんやけども。ただこの過程を頑張ることが、いわゆる教養の習得かなって今つながったりした。書きながら。(笑)
あーちょっと前半部分と矛盾してるところあるかも。(笑)
オール明けの1限で書いてるなうやからゆるしてください。。。
でも5限まで耐えてダッシュで帰ってダッシュで風呂入ってダッシュで梅田向かって夜行で爆睡してディズニー!!
あ、もちろんディズニーで遊びながらも「問い」の感度は保ってますよ?
「なぜ海底2万マイルなんだろう?100万マイルじゃだめなの?」
「なぜこの場所でポップコーンを売っているのだろう?」
って感じですね。別の意味でもすごく楽しみになってきた!!(笑)
内定式も終わって、これからもっともっと書いていきます!
がんばります!